小村寿太郎生家
「明治時代を代表する外交官小村寿太郎は、飫肥城下の町役人の長男として、現在の生誕碑の場所で生まれた。その後、小村家が破産したため、明治時代後期に、生家は振徳堂の裏に移築され、さらに、大正10年(1921)に現在地に移築されたものである。その後は大きな改修は行われずに現在に至っている。飫肥重要伝統的建造物群保存地区における伝統的な建築様式を現在に伝える重要な建物であり、また、飫肥が生んだ明治の大外交官小村寿太郎縁の建物としての価値も高い。
近年に空き家となって老朽化が著しくなったため、市が改修整備して、平成16年(2004)4月から公開している。」
日南市教育委員会 |