人柱様
「『堀川』は、二年四ヶ月もの歳月をかけて貞享三年(1686)に完成された。
この工事は困難を極め、なかでも吾平津神社下の岩盤開削等は難工事であった。
そこで作事奉行は人柱を立てる事とし、衣服に横切れを使用している者をと定めた。
しかしこの様な者は見い出せず、最後にこの奉行の衣服を調べた処、袴の腰枝の内側に横切れが使ってあった。そこで奉行を人柱に立て、ついに竣工することができた。
また人柱でなく天御中主尊の人形を代りに埋めて祭神となし、人柱神社を設けて、その完成を祈願したとも伝えられている。
爾来、油津の人々は『とばしら様』と親しく呼んで感謝の意を表し、幾久しくお祀りし続けてきた。」 |