吾平津神社(乙姫神社)由緒沿革
「当社は元明天皇の御代の和銅二年(709年)の創建にて、乙姫大明神と称して、江戸時代、飫肥十一社の一つとして歴代の藩主の崇敬篤く、明治維新に際し伊東裕帰知事の意により吾平津神社と改称され、昭和八年郷社となる。境内に御門神社二社があり櫛磐間戸命、豊磐間戸命の二柱の神をお祭りしてあります。
その外に境内末社として、祖霊社、又豊漁及び商売繁盛の霊験あらたかな乙姫稲荷神社が鎮座されています。
主祭神の『吾平津昆売命』は宮崎神宮の御祭神『神武天皇』が狭野尊と称され、また日向に在られた頃の妃であり『古事記』によればお二人の間には『多藝志美々命』『岐須美々命』二人の皇子がありとあり、又、『日本書紀』によれば『手研耳命』お一人の皇子ありとある。神武天皇が皇子や郡臣と共に日向を立って大和朝廷をおこすために東遷された時、『吾平津昆売命』は同行されず当地に残られ、この油津の地より御東遷の御成功と道中の安全をお祈りされました。
この故事により、当神社は交通安全、航海安全、商売繁盛、諸祈願成就の神様として篤く信仰されています。」 |