矢的原神社の猿田彦大神

2014.10.04

宮崎市大島町




矢的原神社の由来
「矢的原神社は昔から腹の神として町内始め広く町外の人々の参拝者がたえない通称原権現様と呼んで居る
此の度大島町鷹喰地の売却代金を平原土地改良組合に一金壱阡八百五十八万五千円九十円也の配分を受け事業完成大島町区会出資金にて本村の天神様の本殿を移転改築 拝殿は新築事業費壱百七十万円也霧島神社玉垣二十五万円也拝殿玉垣八万円也 記念碑工事費三十万五千円也にて完成尚鳥居並手洗所参十参万円也は有志の寄附金にて完成平原下方農道拡張事
かくの如くして完成せし事を記す 昭和四十七年七月吉日」
大島町の矢的原(やまとばる)神社
矢は霧島神社、的は的石神社、原は原権現神社、三社合祀

鳥居横の石塔

猿田彦大神

天保四年(1833)

月讀尊