田元神社

2014.09.06

宮崎市本郷南方




田元神社 由緒沿革
「寛治四年五月都万神社の祭神を神託により赤江村恒久の地に分祀するにあたり、先ず仮殿を本郷南方の田元と称するところに建造し奉神した。同年十一月本殿を恒久に造営し、一ノ宮大明神と称し鎮祭した。しかし、その後田元の宮跡も廃除せず、そのまま田元宮と称して同地の産土神として奉斎したところ、明治五年に至り赤江村大字本郷字鵜戸尾宮を合祀、田元神社と改称し村社に列格現在に至っている。」
県道367号線沿いの田元神社

田元神社の文化財
「十一面観音像 推定江戸後期作
 頭上の十の化仏を頂く。衆生(命あるもの)が救いを求めると自在に救うという仏
六地蔵幢 大永八年(1528)小城出雲守建立
 仏教の教えでは、人間は死ぬと地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のいずれかに行くという。
 その六道のそれぞれに導くのが六体の地蔵
板碑 慶長十八年(1613)十月十六日建立
 板碑には珍しく三体の仏像が彫ってある。向かって右から釈迦如来、観音菩薩、薬師如来、さらに三人の戒名があることからこれらを供養したもの
(宮崎県民俗学会副会長 前田博仁)
 これらは当社本殿裏に永く祀られていましたが、この度の社殿改築・境内整備にともなって表に移しました。
 中央の六地蔵幢はほぼ五〇〇年前のもの、宮崎の歴史を語る貴重な歴史遺産です。」

平成二十五年九月
田元神社宮司 小八重地明

板碑

六地蔵幢

十一面観音像