時雨の石塔

2019.07.06

宮崎市細江 時雨




碑文
「当地区は、宮崎市の西部、清武町の北部に位置し、清武川左岸の標高約90mの台地に開けた畑地帯で、約230戸の農家が葉タバコ、早堀り里芋、食用甘藷、大根等の栽培を続けてきた。
 しかし畑は小区画の上、形状の悪さと農道が狭小な為、機械化、近代化に向かって進む当地域の発展を大きく拒んでいた。加えて南九州特有の火山灰土壌で、干ばつと降雨時には、農地の崩壊埋没、表土の流失など繰り返し災害を被り、農業経営に大きな支障を来してきた。
 そこで地元は国に対して昭和56年清武町、田野町と一市二町が合同して、約2,000ヘクタールの農地に、新規水源を確保し畑地灌漑を行う、国営大淀川右岸土地改良事業を申請、同年その事業がスタートすると同時に、その受け皿となる基盤整備事業の気運が高まり平成二年に関係行政当局の指導のもと、県営特殊農地保全整備事業に着手し。時雨。椎屋形両地区の一字をとり、時屋土地改良区を設立し、小岩屋正勝初代理事長のもと、清武町の一部を含む170名からなる組合員と共に第一歩を踏み出し、本事業を強力に推進してきた。
 平成五年には鹿村野と船引を結ぶ農免農道の新設事業に取り組み、その用地を換地により創出し建設促進を図った。又、同年に着手して当地区を横断する東九州自動車道や県道宮崎田野線改良事業にも協力し、周辺の道路網がよくなり、事業実施においてほ場整備地区内の道路、排水路が整備され農家の長年の悲願であった農地保全整備事業、併せて灌漑施設も完了となり、あとは通水を待つのみとなった。
 本事業を推進して戴いた国、県振興当局、市、町行政当局に深甚なる敬意を表し、ほぼ十二年に亘るこの大事業の完成を記念して碑を建立する。」

平成十一年三月吉日
農地整備記念碑の横に

石塔群

石祠