景清廟

2017.07.23

宮崎市下北方町




景清廟縁起
「景清公と娘人丸姫の遺骸をまつる 回顧すれば公が壇ノ浦の渦中より脱して頼朝を亡さんと心膽を砕かれしも果さず遂に畠山重忠に捕えられる
頼朝は公の武勇非凡なるを惜しみ己に仕えむことを懇望す 公固く辞して直ちに両眼を抉りて曰く此眼あらば貴公を殺さむの念常にやまず 然るに今は盲目たり最早敵対する念なしとここに於て頼朝の仁命により日向の勾當となり文治二年十一月下向ある時に齢三十二才なり 此の地にあるや深く新佛を信仰し帝釈寺の再興、岩門寺、正光寺を建立せり健保二年八月十五日行年六十二才にて没す
法名千手院殿景清水鑑大居士と称す」

下北方町区会
景清廟を訪ねました

本堂

孝女人丸姫之墓

景清公父母之慰霊塔

境内の石塔群

月天尊?