平和台公園

219.09.01

宮崎市下北方町




県立平和台公園
「この公園は紀元2600年記念事業として県奉祝会が中心となり、県内はもとより広く国内外の有志の協賛をえて“八紘之基柱(あめつちのもとはしら)”の建設と広場2,600坪(8,580u)の造成を行ない、昭和15年11月25日に完成した。
 この台地は、神武天皇ご東征当時の宮居の跡といわれる“皇宮屋(こぐや)”の北部に位置し、海抜60m、下北方古墳群に囲まれている。台上の塔は、高さ36.4mで国内各地をはじめ当時世界各地に在住した日本人団体及び友好諸国から寄せられた切石1,789個を含む石材8,345立米で築かれ、作業員は奉仕団を含め延べ66,500人、総工費67万円を費やしている。
 塔は日名子実三氏の設計になり、外形は神事に用いるご幣を象徴しており、左に向って荒御魂(あらみたま・武人)、奇御魂(くしみたま・漁人)、幸御魂(さちみたま・農人)、和御魂(にぎみたま・工人)の四像を配し、昔の生活風俗をしのばせている。
 正面には、秩父宮雍仁親王殿下の真筆による“八紘一宇”の文字が永遠の平和を祈念して刻みこまれているが、終戦の昭和20年8月にはその精神が戦争目的に利用されたとして削除され“荒御魂”像もまた武力を象徴するものとして取り除かれ、その後塔は“平和の塔”と呼ばれるようになった。
 しかし、昭和32年4月9日に都市公園の決定をうけて公園整備が進むにつれ、美術工芸品としての塔の完全復元と保存の機運が台頭し、37年10月5日に“荒御魂”像が、40年1月31日には“八紘一宇”の文字が復元された。
 また、37年3月31日に、はにわ館が設置され39年のオリンピック東京大会の際は、国内聖火リレー第二コースの起点に選ばれ、9月9日この地に運ばれた聖火は翌10日県民歓送のうちに東京への第一歩をふみ出した。
 これが機縁となり、オリンピックの主会場であった東京都の日比谷公園と姉妹公園の縁を結んでいる。
 なお、県立都市公園としては、昭和35年度から45年度まで数次にわたる年次整備計画に基づき、県・市の憩の場として拡充整備をすすめ、神話の国みやざきを象徴するにふさわしい姿を整えるにいたっている。」

昭和46年3月31日
宮崎県知事 黒木博
4ヶ月ぶりの訪問

平和の塔

聖火台・神々の降臨
「昭和39年オリンピック東京大会国内聖火リレーの起点平和台公園に迎えられた聖火が国内最初の夜を燃え続けたのがこの聖火台で、全高2m40cm、口径87cmあります。外側には神々が高千穂の峰に降臨されたという古事がえがかれています。」

はにわ園

ラクウショウ

鯉も泳いでいます

別の場所

新池を1周してみます

新池南側から

テラピア

白いキノコ

新池東側から

新池北東側

鯉や

ミドリガメ

鯉とラクウショウ

小鳥がクモを狙っています

飛びついて食べました

この鳥は虫を食べています
以上 219.09.01撮影


駐車場への道に光芒が出ていました

駐車場入口

平和の塔の上に月

月齢20.2

はにわ園の光芒

フジバカマ まだアサギマダラの姿は見えません

コバノセンナ

ミズヒキ

金木犀



セセリ
以上 2019.10.19撮影