トーチカと田の神
「トーチカは、コンクリートで堅固に構築して、内に銃火器などを備えた防御陣地のことで、ほとんど半地下式になっている。
このトーチカもその様式にならっており、太平洋戦争が激しくなってきた昭和18年(1943)、本土防衛のために建設された。
昭和19年(1944)8月以降、陸軍航空隊が都城西飛行場を全面使用することになり、さらに同20年(1945)4月からは特攻基地となったため、米軍機の空爆が激しくなったので、このトーチカからも機関砲で応戦していた。
しかし、同20年8月15日終戦を迎えたため、防御施設としての役目を終えた。
当時は、この他にも数箇所にわたり設置されていたが、50有余年の歳月とともに徐々に取り壊され、このトーチカが風雨に耐えて残った。
終戦直後、誰かがこのトーチカの上に田の神を据えた。以来、今日に至るまで豊作祈念の神として鎮座し、眼下に広がる水田を見守ってきた。
田の神は、旧薩摩藩領内に多くみられ、稲穂の成長を願って作られ、田の神信仰として藩独特の文化を形成した。
今後、このトーチカが戦争を語り継ぐ史跡として保存され、永遠の平和への願いを新たにする資となることを祈念して説明板を設置する。」
平成10年3月
都城市教育委員会 |