天長寺の石塔

2014.08.10

都城市都島町




天長寺の石塔 市指定史跡
「天長寺は北郷氏八代忠相が天文七年(1538)に祈願寺として創建したと伝えられ、鹿児島の大乗院末寺(真言宗)で、本尊は十一面観音で、開山は舜叡とされる。
 当寺は文禄四年(1595)に北郷家の宮之城移封とともに同地へ遷されたが、同氏の都城への復帰に伴い現在地に建てられた。その後、明治初期の廃仏毀釈で寺院は破壊されたが、その際に無傷で残ったのが今日の石塔である。
 この石塔の中で刻銘の分かるものが不動明王像・両脇侍像である。この像は、総高1.4mの浮彫りで、迫力に富んだ容姿の像である。これは永禄七年(1564)当寺五世住職、舜杲の奉納で作者の寿福坊舜成などの銘がある。また、阿弥陀如来座像は舟形光背で、総高は1.76mを測る。これは製作年・作者ともに定かでない。なお、この他にも地蔵菩薩像など数体ある。」

平成九年一月
都城市教育委員会
国道10号線から北へ入り込んだところの天長寺

多くの石塔が残されています

舟形光背の阿弥陀如来座像

不動明王像・両脇侍像 永禄七年(1564)

地蔵菩薩像