都城島津邸
2012.08.05
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都城市早鈴町18
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島津の由来
「平安時代、ここ都城には『島津』と呼ばれる地域があり、都城を中心に国内最大級の荘園が置かれていました。
その荘園の名を『島津荘』と言います。
島津発祥の由縁
鎌倉時代に入ると、惟宗忠久なる武将が源頼朝から銘を受け、地頭(荘園の管理人)として島津荘を取り仕切ることになりました。忠久は荘園の名を冠して『島津忠久』と名乗り、都城の祝吉に御所を開きました。島津忠久は、後に南九州の覇者、島津氏の祖となる人物です。
ここ都城は、『島津荘』『島津氏』発祥の地なのです。
都城島津藩の誕生
南北朝時代初期、1352年、島津本家4代忠宗の6男資忠が都城に入ります。合戦の恩賞として足利尊氏より都城内の北郷という地を授かった資忠は『北郷資忠』と名乗ります。北郷家は、その後江戸時代に入ってから本家の命により『島津』に改め『都城島津家』となります。約4万石という大名並の国力を持つ都城島津家は、幕末まで都城領内を統治し、多くの功績・史料を今に伝えています。」
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初めて訪れる都城島津邸
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御門 国登録有形文化財
「陸軍大演習の行われた昭和10年(1935)に建築されたものです。都城島津家の紋章が入った軒瓦があるのが特徴です。」
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石蔵 国登録有形文化財
「昭和5年(1930)築の米蔵で、後は民具等を収納していました。現在外観はそのままに、室内は休憩室等のスペースとしてご利用いただけます。」
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剣道場 国登録有形文化財
「慶応3年(1867)築と伝えられ、明治12年に邸内に移築されたといわれています。床が低く、釘を上から打たない方法で造られています。」
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外蔵 国登録有形文化財
「明治5年(1872)築の古土蔵を明治15年に購入し、邸内に移築したものです。屏風や衝立、甲胃、古文書などが収蔵されていました。」
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都城島津伝承館内部
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本宅 国登録有形文化財
「昭和10年(1935)11月に陸軍大演習が行われるのにあわせて、旧邸宅の改築を計画し、大林組が施エしました。明治12年(1879)に建築された旧建物の部材も使用しており、間取りも活かされています。昭和28〜29年(1953〜54)に2階部分を増築。昭和47年(1972)に昭和天皇御宿泊のため大改装を行っています。」
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玄関口
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昭和天皇夕食レプリカ
「昭和48年(1973)、昭和天皇皇后両陛下は、小林市ひなもり台での全国植樹祭に出席されたのち、この都城島津邸にご到着、一泊されました。
この食事は両陛下がお召しになった夕食を再現したものです。再現にあたっては、料理の献立が残っており、加えて、当時調理を担当した料理人の方に聞き取りを行いました。」
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昭和天皇ご休息の間
「昭和48年4月8日、宮崎県小林市夷守台で全国植樹祭が開催され、同日、天皇皇后両陛下がここ都城島津邸にご宿泊されました。
この部屋のソファーやテーブルなどは、当時使用されたものをそのまま展示しています。わずか1日のために購入されたものです。」
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天皇皇后両陛下ご寝室
「ベッドや鏡合などの家具は、両陛下のご宿泊に合わせ購入されたものです。両陛下がご使用された後は、使われることはありませんでした。
この部屋の家具は、当時使用されたものをそのまま展示しています。」
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庭園から |