雄児石どん 民俗文化財
「向かって左側の板碑形石塔は軽石製で、頭部は丸く仕上げられ、額部との境に施された二条線はにぶい。額部は突出しており、中央には合掌した人物の座像が素朴な表現で浮き彫りされている。
向かって右側の将棋駒形の石塔はギョウカイ岩製で、表面には五輪塔が浮き彫りされ、梵字が刻まれているが、銘文は認められない。後者の年代は近世初期の可能性もある。
地元ではこの石塔にまつわる次のような逸話が伝えられている。
『数百年も昔のこと、都城と志布志の街道筋に、牛馬の背に魚や塩などの海産物を積んだ商人たちが立ち寄る茶店があった。この店には馬好きなおシヅという女中がいて、主人にかくれてキラス(豆腐拍)や豆腐原料の大豆などを馬に与えるので、ある日主人が厳しく戒めたところ、首を吊って死んでしまった。その後、この地区では悪疫が流行して多くの牛馬が死んだので、村人たちがおシヅの崇りに違いないと、この供養塔を建てて慰霊祭を行ったところ、悪疫は止んだ。それから、この石塔は雄児石どんと呼ばれるようになった。』
毎年祭典が行われており、昭和三十年代までは牛馬の神として、近郷からの二百頭余りの馬寄せや催物があり、賑やかであったという。」
平成十二年三日
都城市教育委員会 |