三島通庸遺徳の碑

2014.08.13

都城市庄内町




三島通庸遺徳の碑
「この碑は明治の初めこの地を治め、郷土発展に尽くした三島通庸をたたえて建てられたものである。
 三島通庸は鹿児島に生まれ、明治二年九月、三十四歳の時、都城地頭として赴任したが、旧領主を慕う領民の反感を受けたため、この庄内に地頭館を置いて行政の任に当たった。
 まず行政区画を上荘内郷(庄内)・下荘内郷(都城)・梶山(三股)の三郷に改め、旧郷の耕地を総割換して暮らしの安定を図った。
 次に、安永の麓、三股の山王原に住宅街をおき、中心の町並みを造った。
 また、道路建設・堤防修築・産業・教育の振興に力を注ぐとともに、石峯稲荷の整備を図り、母智丘神社と命名し、鎮守の社とするなど、領民の生活安定に尽力した。明治四年十一月西郷隆盛の要請を受けて上京するまで僅か二年余りの在任で有ったが、その業績は今日の地域発展の基盤となっている。」

平成五年二月建立
都城市教育委員会
庄内小学校校庭に石碑群

右端が三島通庸遺徳の碑