都城島津三代北郷久秀・弟忠通の墓

2015.01.18

北諸県郡三股町長田




都城島津三代北郷久秀・弟忠通の墓 町指定史跡
「この二つの五輪塔は、応永元年(1394)に、梶山合戦で討ち死にしたとされる北郷久秀と弟忠通の墓です。墓は凝灰岩で造られており、下から方形の地輪、楕円形の水輪、台形の火輪、半円の空輪、一番上の団形(宝珠形)の風輪で構成されており、町内に現存する五輪塔の中では良好な保存状態にあります。
 火輪に『日山』とあるのが久秀のもので、『聖安』とあるのが忠通のものですが、造立年代は不明です。墓は当地に所在した大昌寺跡にあります。
 大昌寺は元々は薦福寺という名称で、梶山合戦で戦死した兄弟の菩提を弔うために、二人の父である北郷家二代目当主の義久がこの地に建立しました。墓の脇の石柱には『薦福寺殿日山妙旦大禅定門』と刻字されています。
 梶山合戦については、『庄内平治記』などの後世の編纂物でしか確認できませんが、南北朝の合一(1392年)がなされた後も南九州では争乱が絶えなかったのは史実であり、九州探題方との抗争の中で、久秀・忠通兄弟が梶山城で戦死したことも史実であったと思われます。当地には久秀が絶命する前に座ったとされる『腰掛石』も伝わっており、梶山城が激戦の地であっ
たことを物語っています。
 また、二体の仁王像は大昌寺の門前にあったものであり、町内では唯一もので、貴重な文化財です。破損が見られるのは、明治の打めに起こった廃仏毀釈の影響でしょう。」

平成26年3月 三股町教育委員会
梶山小学校北側、山手

北郷久秀・弟忠通の墓

腰掛石

地頭並びに城主墓

祠の中の石仏

馬頭観音

双体石仏