仲五(ちゅうご)塚
「これは小林地頭だった上井次郎左衛門尉秀秋の次男、上井仲五兼政の墓です。
仲五は元亀二年(1571)に生れ、慶長二〜三年(1597〜1598)の朝鮮出兵には小林勢二十名を率いて遠征しました。
慶長四年(1595)、島津氏の内紛である庄内の乱が都城を中心に勃発し、仲五も小林勢の一員として奮戦しましたが、九月十日、志和地(都城市)で戦死しました。
仲五は少年時代、飯野(えびの市)の長善寺で学問しており、死後は小林の中で長善寺の鐘の音の聞こえるところに葬ってほしいと遺言していたので飯野との境であるこの地に埋葬されました。享年二十八歳、墓碑には『雄岳宗英居士』と刻んであります。」
平成十二年六月一日
小林市教育委員会
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