碑文
「この松井水路は 江戸時代に地方最大の事業として 北方 南方 恒久 田吉 岩切など赤江の二百二十二ヘクタールに及ぶ水田を灌漑する延長四キロメートル余の幹線用水として 松井五郎兵衛翁によって寛永十七年に完成したのである この流水により その後開田され四百五十ヘクタールと倍加し 赤江の農村を潤す源となった 明治三十九年に水利組合を組織して 維持管理されて来たが 昭和二十七年赤江土地改良区設立により移管され今日に至っている この間都市化が進み受益面積は減少するも 清武川の水位低下と老朽水路のため漏水が多く末端水田に用水不足を生じることとなり その維持管理に要する多大な経費の削減と 安定給水を図るため急遽総代会において改修工事の実施が決定され新井出地区団体営かんがい排水事業として国 県 市の補助を受け総事業費四千万円で取水口より下流延長九00メートルを昭和五十六年度から市当局の指導監督と 役員 組合員四百八十六名の絶大なる理解と協力により三カ年で完成した 本工事の完成に依り 百七十八ヘクタールの美田に安定した農業用水確保ができ 生産力の向上と 農業経営の安定に大きく寄与するものとなった 完工を記念し碑を建てるに当り概要を記する」
昭和五十八年十二月十六日完工
事業主体 赤江土地改良区 |