昌雄寺六地蔵石幢

2014.09.27

延岡市北浦町古江




昌雄寺六地蔵石幢
「六地蔵とは六種類の地蔵のことで、一般に檀陀・宝珠・宝印・持地・除盖障・日光をいう。
 人間は死後、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天道)のいずれかをさまようとされているのでそれぞれの道で救ってくれる六地蔵を建て供養するようになったといわれる。このように石塔に刻して信仰するようになったのは平安時代の中頃からと考えられている。
 この六地蔵石幢は、享禄五年(1532)に河野通正という人が、死んだ子供の供養のために建てたもので、凝灰岩製、高さ207p、下から基礎、幢身、中台、龕部、笠、露盤、宝珠で構成され、幢身に金剛界四仏の種子を刻し、東・南の二面に銘文がある。
 中台は四角漏斗状で軒口に蓮弁を薄く刻出するが、現状は中台が上下反対に組まれている。龕部の三面は二区に分かれ、一面に一躰ずつの雲座上の地蔵立像を、一面に仁王を薄く平彫りに浮かし、中を板刻風の線刻描かれている。傘も方形で軒裏に垂木隅木を配している。その上には枡形露盤と角張る火焔宝珠を乗せる。この六地蔵石幢と、構造的にも尊容的にもよく似たものが大分県佐伯市石打区でも見られる。
 なお、銘文の享禄五年は七月二十九日に天分に改元されているが、僻地の地方文書や金石文ではよく見かけられることである。」

平成十年一月二十四日
北浦町教育委員会
昌雄寺入口の六地蔵幢

龕部

塔身