花立山展望台 飫肥街道随一の景勝の地
「“歴史の道100選”【平成8年文化庁指定】に選ばれた『飫肥街道』(通称「殿様街道」)は、1587年に飫肥藩初代藩主伊東祐兵により、飫肥から清武を結ぶ主要街道として整備されたと伝えられる。
飫肥城・領地を巡る伊東家と島津家の度重なる合戦が繰り広げられた戦国時代から、歴史的なドラマに彩られてきた飫肥街道であるが、徳川幕府時代は城下間を人や物資が行き来する要路、そして藩主が参勤交代のために上り下りする街道であった。
城下を出発した参勤交代の行列は200名を越す大行列で、飫肥城から内之田を通り郷之原神社を過ぎて広渡川を渡り、一之瀬河原から急な坂道にかかる。この山道を登り詰めたところが花立峠、花立山の頂上である。ここで一行は“お籠立て”つまり籠を下ろし一休みしたのである。
そして飫肥の山河や遥か油津の港を眺め、故郷とのしばしの別れを惜しんだのである。遠い江戸に住む飫肥藩士たちの脳裏に絶えず思い浮かぶ光景であったに違いない。「下にい。下にい。」と甲高い声が響き渡り、江戸まで約40日間の長旅であったと伝えられる。
飫肥街道は花立の山並みに囲まれながら、遠い歴史を今にとどめる貴重な歴史文化遺産である。」 |