血盆経 2013.09.15 |
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西臼杵郡日之影町七折 黒仁田 |
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血盆経由来 「血盆経は、十世紀頃中国において作られ日本に伝わり、日本の古禅僧が女人血盆経と名付けた。日本では、曹洞宗の授戒会などで一般在家の女人にこれを授与していた女人救済の経典である。現行の血盆経は応永の頃、千葉県にある正泉寺の和尚の作と言われている。 血盆経の内容の一部には、女人が肌にこれを掛ければ不浄を除いて悪病から免れる。また、男子の場合でも不浄の病気に罹った時、経典にある地蔵尊を切り取って水に浸してこれを飲むと病気が平癒すると書かれている。 鹿川の一字一石血盆経供養塔は、数少ないものの一つと思われ、文化四年(1807)に建立されているが、その経緯はわからない。明治初年まで鹿川にあった曹洞宗杉高寺の住職にそのかかわりがあったのではなかろうか。 以前は現在の場所より上方にあったが、道路開削のために下方に降ろされ、その折経文の一字が書かれた小さな丸石が出土し、その石は供養塔の下に埋められたと言われている。 註 応永=1394年〜1427年」 平成二十三年三月三日 日之影町教育委員会 |
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鹿川公民館の前 血盆塔は以前、北川町で見たことがあります |
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一字一石血盆経供養塔 |
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