甲斐宗攝墓石
「宗攝(そうせつ)は天正年間(1573〜1592)岩井川・諸塚地区の領主で高千穂郷を統治していた三田井親武に仕え、その重臣であった。宗攝は延岡領主高橋元種に唆されて主君の親武を文禄元年(1592)に討った。
その後元種は宗攝に不信を抱き文禄四年(1595)に宗攝の居城中城を攻めた。宗攝は敗走して鶴の平で自刃したが大人の村人達は宗攝生前の善政に報ゆるためその亡骸を持ち帰り埋葬したと伝えられている。
墓石には次の刻字が見られる
右側面 文禄四年乙未
中央 心捐館月□宗接居士□尊霊
左側面 欠損して刻示不詳(かつては一月十五日の文字が見られたという)」 |