山崎権現神社由来記
「祭神 天児屋根命 大玉命 宇気母知神
天児屋根命は天照大神の侍臣として仕え、非常に美声の持主で、大神が天の岩戸に御隠れのとき岩戸の前で祝詞を奏上する役を担当された程で、のち天孫降臨に従い、猿田彦命の道案内で、天孫瓊瓊杵尊を御守りしてこられた高い位の神様で、平和と繁栄、災厄防除、出世開運の御利益が多いといわれています。
又明治40年5月25日県知事の命により黒山口189番地、水天宇都にあった 無格社、築地神社の祭神 宇気母知命(作物、食べもののの神様)を合祀されております。
ニ、祭典 年二回
春祭り 3月19日 秋祭り 10月19日
三、由来
1.元和二年(1616年)九月十三日 亀鶴城二ノ丸から、出城廃止令により現在の山崎大地に鎖座されたと伝えられています。之は向江堰が完成した貞享二年(1685年)六月の記録にも残されています。
2.山崎権現神社の再建は、安永五年(1776年)三月二十六日、島津重豪の命で吉田郷地頭 西恰介の時代に、頭取役 押領司勤厚、大工責任者、有馬五右衛門によって行れ、
大工主取 金銅門 助右衛門 新屋敷周右衛門
大工職 大王門 彦右衛門 新屋敷龍助
の名前があります。」 |