大明司諏訪神社の由来
「永禄七年(1564)島津義弘は飯野城に入る。この頃大明寺を建立して井尻神力坊を住職として大明神村(後に大明司村に改む)の領主にした。このとき平城を築いて人吉の相良氏に備えた。
天正三年(1575)義弘の三男家久(義弘の後嗣)は大明神村の新城に生れたので、諏訪大明神を産土神として崇敬した。そこで、別堂寺を整備して新城山大明寺延寿院と名付け神領高五拾石を与えた。
天正十八年(1590)新城は加久藤城と改名されその地域も加久藤郷に編入された。
明治二年(1869)廃仏令のとき大戸諏方大明神の呼称を改めて諏訪神社となった。
諏訪神社は主護神で開運並びに縁結び、病気安全神様といわれます。神社内には馬頭観音も鎮座されている。」 |