鵜戸神宮御由緒
「主祭神 日子波瀲武ウガヤ草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
当宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を“鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺”と賜わった。
また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外本堂には六観音を安置し、一時は“西の高野”とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号、寺院を廃し、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
母君の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える“おちちいわ”は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産、育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。又、霊石亀岩の背中に運玉を投げ見事にはいると願い事が叶うという伝えがある。
このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、厄除、漁業、航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘な霊気によって人々の魂を高めて行くであろう。」
鵜戸神宮社務所
「神武天皇の父君を御祭神として奉り、創建は第十代崇神天皇の時代と伝えられ、その本殿は洞窟の内にあり、朱塗りの鮮やかな建物です。
縁結び、安産、育児を願う人々の拠り所であり、また、剣法発祥の地としても知られています。」 |