大迫寺跡石塔群

2004.06.13


日南市吉野方




大迫寺跡石塔群 県指定建造物
「左手の坂を約200m登ると石塔群が存在する。ここは、中世の寺院墓地と推定され、板碑や五輪塔などが250基以上ある。
この石塔群のなかには、永仁3年(1295)、文保元年(1317)、正平25年(1370)など鎌倉時代から南北朝時代の墓碑で墨書きされたものも現存している。
 左に鎮座する仁王像は、大迫寺の山門にあったものと考えられている。損傷・劣化の激しかった仁王像の履屋は、平成14年度宮崎県「神話・伝説の道快適周遊環境整備事業」にて改修工事を行った。
 大迫寺(真言宗)は、島津氏が飫肥藩を領していたときは、中山寺本坊、阪本坊など12の支院があった大伽藍であった。
伊東氏が領主となってからは、願成就寺の末派となり、廃仏毀釈によって明治5年に廃寺となった。」

日南市教育委員会 社会教育課
大迫寺跡石塔群
「大迫寺石塔群は。鎌倉時代以来の寺院墓地と推定され、五輪塔や板碑、宝筐印塔など250基以上の板碑、石塔からなる。年代が判明するもので、もっとも古い物は永仁3年(1205)の板碑が確認されtる。それにつづき、文保元年(1317)、正平25年(1370)の石塔、板碑なども確認されている。
鎌倉時代から南北朝時代を経て江戸時代までの墓碑が現存する。
 石塔群は寺院周辺に散在していたが、荒廃が著しいため、現在の地に集められた。また、広域農道整備の際にここへ移されたものもある。
 大迫寺(真言宗)は、島津氏が飫肥を領していたときは、中山寺本坊、阪本坊など12の支院があった大伽藍であった。伊東氏が領土となってからは、願成就寺の末派となり、廃仏毀釈によって明治5年に廃寺となった。」

日南市教育委員会 社会教育課