重要伝統的建造物保存地区 国選定
日南市飫肥伝統建造物群保存地区
「飫肥城下は飫肥藩五万一千石の城下として、明治時代から昭和30年代にかけても、南那珂郡の政治、経済の中心地として栄えた。城下の形成は、天正15年(1587)に飫肥藩初代伊東祐兵が豊臣秀吉から飫肥を領地として与えられてから、本格的に建設が進んだと考えられる。現代においても、江戸時代始めの絵図に描かれた街路がそのまま使用されている。
城下は飫肥城の南に、三方を酒谷川に囲まれた東西850m、南北900mの範囲で、南北三街路、東西七街路で方形に区画されている。飫肥城近くから上級家臣、中級家臣、町屋、下級家臣の屋敷地となっている。
各武家屋敷は、飫肥石や玉石の石垣と生け垣に囲まれ、格式に応じた門を設けている。屋敷地の広さは上級家臣の2千坪から下級家臣でも、260坪ぐらいまでさまざまである。
昭和52年(1977)、地方における小規模な城下町の典型的なものとして、九州で最初の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
保存地区の範囲は横馬場通り、前鶴通りを中心に約19.8haである。」
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