榎原神社

2005.12.04

南郷町榎原




榎原神社楼門 県指定有形文化財
 
「この楼門は、1816(文化13)年に神社境内と門前町を結ぶ位置に建立された。
 構造は、楼門づくりという木造二階建てで、高さ約11m、横幅約7m、奥行約4mで、一階の上に高欄の回廊を巡らせている。正面が三間からなり、中央が参詣者用の通用門(一戸、両側二間にそれぞれ仁王像を安置して、八本の柱脚で建っていることから三間一戸八脚門という。
 楼門の特徴としては、柱上にだけ二手先出組を置き、二階の軒に隅木を配して垂木を並べ、その本数で柱間を決める和様式と、礎石と柱の間に礎盤を置き、柱上に台輪を置いてその上に組み物を置くことや、垂木を扇形に配するなどの禅宗様式と、流派的な折衷様式が用いられていることである。
 このような建築様式は、古く神仏習合を物語る歴史上の貴重な文化遺産として、極めて価値の高いものである。
 さらに、地場産の飫肥杉を柱等の材料とし、礎石や礎盤に榎原石と呼ばれる凝灰岩を加工して造る等、地方的特色が顕著であることからも、県下に類例のない古楼門である。」

宮崎県教育委員会
南郷町教育委員会
楼門の中には仁王像

吽形

阿形

榎原神社鐘楼
県指定有形文化財
 「榎原神社は江戸時代初期万治元年(1658)第三代飫肥藩主伊東大和守祐久公が鵜戸神宮の神霊を勧請し、藩内の鎮守として創建したもので榎原山大権現と称され歴代藩主の崇敬も厚く社禄神領の寄進を受けていた。
 この神社は、神殿を中心に鐘楼山門などが残されているが、鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており県内でも数少ない貴重な遺構である。
 鐘楼は高さ11.41mで細部(組物蟇股・木鼻)のつくりも入念な仕上げがしてあり上部の鐘楼部の躍動感と下部の黒板張りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。」

南郷町教育委員会

榎原神社本殿
県指定有形文化財
 「本社は、当時神女として崇められていた内田万寿女の遺言によって、飫肥三代藩主伊東祐久公が、万治元年(1658)12月23日、鵜戸神宮より勧請されたものである。(摂社桜井神社は内田万寿女を祀る)
 現在の社殿は宝永4年(1707)に建てられ、当初は八幡造りであったものが、寛政10年(1798)、当時流行していた権現造りに改造されたものと思われる。拝殿を入母屋屋根とし、正面に千鳥破風、その前面の向拝に、唐破風を設けた。拝殿・相の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は、権現造りである。しかし、従来から関係者は、屋根の複雑さから、八ツ棟造りと呼びならわしている。県下には唯一の貴重な有形文化財である。」

南郷町教育委員会

摂社 桜井神社

境内のイチョウ
以上 2005.12.04撮影


夫婦楠 樹齢約600年 男楠 廻り8m、高さ40m

夫婦楠 樹齢約600年 女楠 廻り7.5m、高さ38m

桜井神社横の祠

中には仏頭?

傍らに石像

もう一体
以上 2014.09.07撮影