永久井野のかくれ念仏洞

2004.03.14

小林市大字北西方 永久井野




かくれ念仏洞について
「浄土真宗本願寺派は、鎌倉時代の開教で、一向宗または真宗ともいわれております。
 この教えの根底には、平等の思想が流れており、一般庶民も救われるというので民衆の間に広がりまLた。
 加賀の国では、一向宗徒が大名の富樫氏を倒し、一向宗の自治地区がうちたてられ、百年も続きました。また戦国時代には、織田信長も一向宗徒の制圧に手を焼き、のちには顕如上人と和解をしております。当地方に真宗がひろまったのは、500年以前であったと思われます。島津藩では、慶長2年(1597
年)の朝鮮出兵にあたり、義弘は、「真宗は以前より禁じられていたが、今後とも拝んではいけない」というおふれを出しています。
 禁止の理由はいろいろあげられていますが、本心は平等思想と団結を恐れたものと思われます。本願寺史によりますと、寛永11年(1634年)に山之口町の武士の者が処分を受け、屋敷を没収され、百姓にさせられた記録を始め、明治9年の解禁までの264年間に入牢、拷問、死罪などを課せられた記録が残っております。特に幕末にはひどかったようです。信者達はこうした厳しい弾圧にも屈せず、洞穴の中でひそかに仏様を拝んでおりました。この洞穴も、永久井野、黒仁田、永久津の信者達が集まって南無阿弥陀仏の六字の名号を唱えながら生きるための安心を得た由緒深い所であります。
全長約18m 最大幅約6m」

平成2年11月記 永久井野地区かくれ念仏洞保存会