木崎原古戦場跡

2006.01.21

えびの市大字池島




木崎原古戦場跡
「元亀3年(1572)5月3日夜、小林の三山城を出発した伊東軍約3,000は4日未明、まず別働隊を派遣して加久藤城を攻め落とそうとしたが失敗し、この木崎原の地に還り、鳥越城に布陣した後続軍と合流しました。
 しかし、眼前の島津軍の劣勢を侮り決戦の時を逸し、この間に、敵襲の狼煙により吉田・馬関田・吉松郷及び北薩の各地より急遽馳せ集まった島津軍に包囲され、一大決戦を交えた古戦場跡です。
 島津・伊東両氏は、この一戦を境として、島津氏は三州制圧の夢を果たし、一方伊東氏は、居城都於郡を追われ衰退の一途をたどるという、両氏の明暗を分けた一戦であったため、古来、世に「島津、伊東の関ヶ原合戦」といわれています。
 この合戦にかかわる史跡に、飯野城跡・加久藤城跡・鳥越城跡・首塚・太刀洗川・三角田・六地蔵塔・元巣塚・二八坂(上別府坂)などがあります。
(小林には、二山城跡・伊東塚・粥持田などがあります)」

えびの市教育委員会

六地蔵塔
「木崎原合戦では、5月4日の1日だけで伊東軍560人余、島津軍260余人の戦死者が出ましたが、島津義弘はこの六地蔵塔を建立して、敵・味方双方の戦死者の霊を供養しました。
 島津氏は、大きな戦いの跡地には殆ど六地蔵塔を建立して供養しています。」

えびの市教育委員会
以上 2006.01.21撮影


5年半ぶりの訪問

樹勢旺盛
以上 2011.08.07撮影