木崎原古戦場跡
「元亀3年(1572)5月3日夜、小林の三山城を出発した伊東軍約3,000は4日未明、まず別働隊を派遣して加久藤城を攻め落とそうとしたが失敗し、この木崎原の地に還り、鳥越城に布陣した後続軍と合流しました。 しかし、眼前の島津軍の劣勢を侮り決戦の時を逸し、この間に、敵襲の狼煙により吉田・馬関田・吉松郷及び北薩の各地より急遽馳せ集まった島津軍に包囲され、一大決戦を交えた古戦場跡です。 島津・伊東両氏は、この一戦を境として、島津氏は三州制圧の夢を果たし、一方伊東氏は、居城都於郡を追われ衰退の一途をたどるという、両氏の明暗を分けた一戦であったため、古来、世に「島津、伊東の関ヶ原合戦」といわれています。 この合戦にかかわる史跡に、飯野城跡・加久藤城跡・鳥越城跡・首塚・太刀洗川・三角田・六地蔵塔・元巣塚・二八坂(上別府坂)などがあります。 (小林には、二山城跡・伊東塚・粥持田などがあります)」 えびの市教育委員会
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