享保用水路の歴史
「本用水路は、川内川上流(旧飯野村大河平通称いいのフランス山上流約200m)に井堰を設け、飯野平野一帯の水田を潤す水路として、享保17年(1732年)に完成しました。 伝説によれば、瑞山寺のある僧が水利計画を思い立ち、村民の総意を得て、私財を投じ、工事は実行にうつされたそうであります。総延長6,800m、幅21mの工事は、途中随道が5ヶ所もあり、当時は測量器具もなく、夜に提灯をあちこちに置いて土地の高低を測り、大変な苦労をして造ったといわれています。 その後、災害を受けたり、古くなったため、昭和7〜10年と昭和54年〜60年にかけて、井堰と用水路の大改修が行なわれました。 この水路の運ぶ水のおかげで、現在でも、「えびの」米で有名な米を中心にさまざまな作物が作られ、地域の発展に大きく役立っています。」 えびの市耕地課・宮崎県農村建設課
享保新田溝「日向地誌」平部驕南著より
「東北大平河村ヨリ来リ本村ニ入テ西南ニ流レ大平落ニ至テ仲伍塚溝ニ入ル長凡八町幅四五尺田三町許ノ灌漑ニ供ス」
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