入野神社社殿 綾町文化財指定
「入野神社の創建は古く、九十四代後二条天皇の徳治元年(1306)の時、伊東氏の祈願所として建立され、代々祭祀を行っていた。当初は鬼森権現といい、日本武命、大己貴命、橘姫命を祭っていた。しかし、時を経て元亀三年五月(1573)白向の真幸飯野において伊東氏が島津氏と戦って敗退した。天正五年二月伊東氏がついに滅亡し、島津氏が日向の国を支配することとなり、島津氏は家臣を鬼森権現の神職と定め、社領四五石を神社に寄進し、屋敷を与えて武運長久のため祈願をして捧げものを奉納するようになった。
しかし天正十五年、豊臣秀吉の薩摩討伐の軍がこの地に至り、神社仏閣に乱入し社殿に放火し古器物焼き払ってしまった。薩摩討伐鎮圧後、焼け跡から鏡一面と木像などを塵芥の中から発見して、そのまま神鏡は伝わり、神社の所有管理は氏子である領民に委ねられ、入野村民が協力して社殿を再建したと伝えられている。
明治五年鬼森権現を入野神社と改められ、明治四四年九月二一日の台風で社殿が倒壊したが、早速氏子の奉仕によって、明治四五年に再建されて現在に至っている。」 |