松井神社の茶庭
「元和5年(1619)、麦島城(当時の八代城)が地震によって崩壊したため、藩主加藤忠広は幕府の特別の許しを得て、城代加藤正方に命じ松江・徳渕の地に新たに城を築かせました。3年後に完成したのが現在の八代城です。 ここ北の丸は加藤正方とその家族の屋敷、そして枯山水の庭園が造られた場所です。加藤家改易後は細川三斎がここに書院とお茶室を築き庭園の整備を進めました。さらに松井家がこれを継承し、今日に至っています。庭園は城壁の土居を利用した低い築山と、泉水に続く心字池からなります。書院から築山の上に龍峰連山が遠望できるようにしてあり、全体的に簡素ですっきりした、わび茶にふさわしい庭園といえます。
名木臥龍梅は、三斎白らが“八代から百花の魁となる人材出でよ”と念じて植えたと伝えられ、昭和57年に県指定天然記念物となっています。松井神社は、松井家再興の祖康之と、干拓事業で八代地方の発展の基礎を築いた興長を祭神として、明治14年に当地に創建されたものです。」
八代市教育委員会 |