繁根木八幡宮仁王像

2015.04.05

玉名市繁根木




繁根木八幡宮
「当宮は平安中期の応和元年(961年)紀国隆が山城国石清水八幡宮を勧請し旧坂下郷総鎮護の社としたと伝える旧郷社である。尓来1025年を閲する。紀氏は大野別府の政所として祭祀を管掌する一方降って鎌倉時代には地頭を兼ね大野郷二五〇町歩を領しその勢威を誇ったが、天文の頃大野氏は衰亡した。天正十六年(1588年)肥後国守として入国の加藤清正公は荒廃した社殿その他の復興に力をいたされその後襲封された細川氏も敬神の美風を継承されたので、漸次旧に復するを得た。創建当初の遺風を伝える節頭行事は当宮の重要祭儀であり、秋の大祭に氏子区域内の輪番で奉仕されている。江戸初期に建立された楼門は当宮を代表する建造物で宏荘精巧な偉容は県内希に見るもので上層の扁額は細川八代藩主重賢公の親筆を安永六年(1786年)掲額された。又天保六年(1835年)には当地方の五穀豊穣を祈念し同田貫上野介宗広がうった神剣が奉納されている。この地は古くから県内五ヶ町の一に数えられ舟運による対外貿易も盛んに早くから文化の拓けたところであり社域の貝塚、後方の古墳、補陀落渡海碑等が散在する。境内二六〇〇余坪には欅、楠の老樹が繁茂し荘厳な社地を形成している。
武威、殖産の広大な御神徳を景仰し郷民こぞって厚い崇敬を捧げている。」

昭和六十一年五月
繁根木八幡宮

楼門に仁王像

阿形

吽形