高森阿蘇神社(矢村社)
「由緒
この神祠は神社の裏山の中腹(豊年桜の所)にあったと言う。本来、山の神の信仰に起こるものであろう。
昭和三年の大風により、大杉(800年以上)が倒れている。(高森鉄道の開通の年)
この社は、矢村社と称されていたが、明治以降改名されている。矢村社の由緒は、『健磐龍命阿蘇国に降り国土開発の時宮位を定めんと阿蘇山上に登り南北に向ってト矢を放つ。その一矢は、南なるこの所の大石に当たり、これ今の御矢村の石にして寸余にわたる矢じりの跡を残すという。
ここに一社を建て神矢を納めて矢村社と称す。その矢朽ち果てたるにより新たに神像を奉安してこれに替え鎮祭す』とある。
思うに本社はもと山の神に始まり農耕神として祀られ、この社でその年の豊凶を占う矢を射るなどの神事が行われたため起こった社名ではなかろうか。
社は森と呼ばれ聖なる樹林は森でありヤシロとも崇められた。上森、下森の地名も現存する。またその在する処は冬野と呼ばれるが、ミタマノフユ(神の恩頼)にあたるか。高森の地名もこの社の山の高い森に起因するのであろう。」 |