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国照寺庭園口橋

2011.03.12

天草郡苓北町白木尾

橋長:0.7m
橋幅:0.6m
単径間桁橋




萬松山国照寺の由緒
「天草曹洞宗西の旧本寺である当山は、寺号を、萬松山功徳林国照寺と称します。
 徳川幕府は、1637〜38年(寛永十四〜十五)の天草島原の乱後、1641年(寛永十八)に天草を直轄領(天領)とし鈴木重成代官が着任して乱後の治世に当たりました。
 萬松山国照寺は、乱から6年の星霜を経た1644年(正保元)6月、重成公の兄石平正三大庵主を開基・勅特賜了外廣覚禅師一庭融頓大和尚を開山として、鈴木重成公によって創建された曹洞宗寺院です。
 創建の目的は様々であったと思われますが、天草島原の乱の犠牲者の追善供養・仏法興隆・民心の安定を図ること等が推測されます。
 山号の萬松山功徳林は、開基正三大庵主の父・萬松院殿月巌照心居母・功徳院殿桂壁貞芳大姉に由来しています。
 当山は、天草四ヶ本寺(国照寺・東向寺・円性寺・崇円寺)の一つとして旧幕時代には寺領四十五石でしたが、明治六年上地となりました。
 裏山の『新四国八十八ヶ所霊場』は、1649年(慶安二)、民心の安定を図るために設けられた霊場であり、毎年3月21日の大師祭は大勢の参詣者で今なお盛況です。
 苓北町文化財指定の国照寺庭園は、広大な寺域の中に自然の美を巧みに生かした禅庭園であり、当寺十一世中興恵天禅師によって天保年間(1830〜)に築造整備されたものです。又、境内を囲む池は、心字形に掘られていて特徴があります。
 1993年(平成五)には本堂屋根瓦葺き替え・伽藍修復工事等を完工し、開闢350年記念大祭と落慶法要を翌年2月に厳修し現在に至っています。」

1999年(平成十一)五月吉日
二〇世 国照寺住職 活融琢道(清光)合掌
国照寺の案内文を見ていると、禅庭園があるというので裏にまわってみました

これはコンクリート製

天保年間築造の庭園の入り口に架かっています

庭園側から