土屋観音堂の庚申塔

2017.07.16

球磨郡錦町一武 土屋




(相良三十三観音霊場) 三十一番札所 土屋観音堂
「(由来・特徴)
 文安五年(1448)に相良氏十代当主堯頼は、多良木城主相良頼観.・頼仙の兄弟に襲われて、ひそかに薩摩の菱刈に落ち延びた。
 その折、御供をしたのが永国寺の大蟲超虎和尚である。
 その後、堯頼の死去により、超虎は帰郷して錦町一武の樅木園に草庵を結び蟄居していたが、後に小槙山(別称、一武城)の麓に一院『一乗寺(一城寺)』を建立し菩提を弔ったと記されている。
 一乗寺は明治維新まで続いていたが、維新後廃寺となり現在は観音堂だけが残っている。即ち、土屋観音がそれである。
 また堂内には、鎌倉時代作の木造聖観音菩薩坐像が祀られていたが盗難にあい現在は、同仏の複製が奉納され大切に祀られている。
 〈御詠歌〉
 人は皆 一仏性の あるなれば 心の玉を 外に求むな  (武親)
 一葉にも 乗りへてしはし しき波や いたらんきしの すへとふくとも  (美辰)
錦町指定有形文化財(建造物) 平成八年六月三日指定」
土屋観音堂

階段を上ったところに

庚申塔

正徳元年(1711)