水前寺公園


熊本市中央区水前寺公園




水前寺成趣園
「細川忠利は、肥後入国に従ってきた豊前羅漢寺の僧玄宅のために、寛永9年(1632)、今の成趣園に水前寺を建立しました。その後綱利の時、寺を北隣に移し玄宅寺と呼び、その跡地に庭園を築き、お茶屋を設けました。これが今の水前寺成趣園です。年中絶えることのない清水の庭園は東海道五十三次をかたどったものと言われ、桃山式回遊庭園の代表的なものです。」
古今伝授之間の由来
 
「この萱葺の古風な建物を古今伝授之間と申します。今から凡そ400年程前、京都御所の中に建っていました。後陽成天皇の弟桂宮智仁(としひと)親王の書院を兼ねた茶室でございます。
この部屋で細川家初代の細川幽斎公が桂宮智仁親王に「古今和歌集の解説の奥義を伝授された由緒深い建物でございます。
後に桂宮家に於て此の建物を永く保存せんが為にその御領地、山城国乙訓郡(現京都府長岡京市)に在る長岡天満宮の境内に移し長岡茶屋と申されました。
その後、明治初年に之を縁故ある細川家に賜り大正元年に水前寺公園正面の現在地に昔の型通り移築されました。
屋内の杉戸には狩野永徳の「雲竜」(現在消滅)正面の襖に永徳の門人海北の「竹林七賢人」(現存)の絵があります。
 この建物が建っている場所は細川藩時代、藩主の「酔月亭」が在った場所です。」

古今伝授之間保存会

出水神社能楽殿
 昭和61年1月12日 竣工清祓式執行
「この能楽殿は、昭和天皇御在位60年を記念し旧八代城主松井家より移築奉納されたもので西日本随一の名舞台と評されています。出水神社の後祭神細川幽斎公をはじめ御歴代には武道はもとより和歌をはじめ茶道能楽など特に御創建と時を一にして、能楽殿がこの地に設けられました。爾来祭典の奉祝行事と各流派による奉納の薪能など盛んに催されてきましたが、惜しくも昭和40年火災に遭い焼失し成趣園の整備が進むにつれて再建復旧を望む声が日増しに高まり、御祭神と御縁深い松井家の御好意と関係各位の熱意により、天皇御在位60年を記念し御祭神ゆかりの伝統文化の更なる振興と発展を期して以前の場所に、成趣園待望の出水神社能楽殿があ見事に再建されました。」
出水神社