熊本城

熊本市中央区本丸




熊本城
「日本三名城の一つに数えられる熊本城は、加藤清正が幾多の実践の経験を生かし、慶長六年(1601)から七ヵ年の歳月を費やして完成したものと伝えられている。周囲5.3キロに及ぶ豪壮雄大な構えで、百二十余の井戸を掘り、最盛期には櫓四十九、櫓門十八、城門二十九を数えた。
 明治10年(1877)の西南戦争で多くの建物を焼失したが、薩軍の猛攻撃に耐え、名城としての真価を発揮した。
 熊本城の石垣は、特異な勾配と堅牢さで知られ、「武者返し」の石垣と呼ばれている。なお現在の天守閣は、昭和35年(1960)に再建されたものである。」

熊本市
櫓群
長塀
頬当御門
備前堀
「本丸への南からの入口は、下馬橋を渡って南坂(現行幸坂)を登る道であるが、その東側にあるこの水堀を備前堀と呼んでいる。
 加藤家の時代に、前国主佐々成政の一門佐々備前がこの近くに住み、屋敷を備前屋敷と称したところから、堀もそのように呼ばれたと伝えられている。佐々備前は加藤家侍帳で見ると千百石余で三番組の鉄砲組頭であった。
 熊本城の東から南にかけては坪井川を内掘に見立てたため、水堀はここ一ヶ所だけであった。」

熊本市