早川厳島神社 御由緒
「本宮は、弘法大師(774年)生誕以前に建立、宝亀二年(771年)から室町時代には三社の祭祀併せて春秋四十八度、天正十三年(1585年)頃までには年毎に流鏑馬の祭式がありその後、国中兵乱に際し神領等豊臣秀吉に没収され、神事祭式廃絶に及ぶも領主佐々成正に依願し祭式等再興を計るが及ばず、小西行長領主となるも神社仏閣を悉く焼く。依って神官渡邊吉次三社の神体を密かに守護し祠に隠し置く事十年、小西行長滅亡の後、宇亀島(北早川に)に仮殿を遷座する。寛永十一年(1634年)神官渡邊玄齋により再建、元禄十五年(1702)拝殿風損再営、明和三年(1766年)暴風雨に依り傾廃大破再建、天保六年(1835年)再営し西向きに改む、それ以来百十三年余の経緯不祥あり、昭和二十九年(1954年)神殿老朽化により改装す。創建以来現在まで社の再建・遷座を繰り返す事六度、更に平成十九年(2007年)の台風により石造鳥居倒壊す。
平成二四年(2012年)秋季大祭に鳥居建立現在に至る。」 |