赤星堰

2011.06.04

菊池市赤星




赤星堰
「沿革
 徳川の初期、加藤肥後守清正公が熊本城主として肥後の国五十四万石を管領した十二年、天承の末期から慶長年間(1596〜1614年)において治山治水の諸施設は行われたものと思われる。この赤星平野も北は菊池川、南は花房大地に挟まれた美田六〇余町歩は、その時代に作られ、以来良質の米産地として声価を高めながら今日に及んでいる。
 昭和二十七年、大洪水に見舞われ古式の石積み堰は原型もなく破壊された。復興に際し、災害復旧工事として昭和二十七年十一月、新式コンクリート堰に改修を始め、翌二十八年五月に竣工をみる。
 昭和四十八年、県営菊池二期工区として、ほ場整備事業に着手、五十四年に完工、整然としたほ場を一望する時、正に世紀の大改革を遂げたと言うもやぶさかではあるまい。
 しかし反面、コンクリート堰の老朽化も進み、県に直轄工事を依頼、平成十二年より油圧式自動転倒ゲートの改修に着手、平成十三年六月完工する。」
水路を辿っていくと赤星堰

記念碑