霜野日吉宮前六地蔵 山鹿市指定文化財
「釈迦入後、弥勧善薩がこの世に出現するまでの間、即ち無仏の期間を担当して、衆生を救済する菩薩を地蔵と言い、平安時代から信仰が盛んになり、特に江戸時代には庶民の信仰をあつめた。
人は死ねば地獄・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六道(六つの世界) に往き、それぞれの因果応報をうけねばならぬが、地蔵を信仰し供養すれば、その功徳によって六道にそれぞれの地蔵が出現して、苦しんでいる亡者を済度するといわれる。
六地蔵は、その信仰の証として建立されたものである。
この六地蔵は文政六年(1822)に建立されたもので、『福音』の刻銘が残っている。」
昭和四十九年四月
山鹿市教育委員会 |