旧鹿本鉄道 菊池川鉄橋
菊池川鉄橋の由来
「明治22年(1889年)12月「九州鉄道」により博多駅〜久留米千歳川仮駅間に九州で初めての鉄道が開通、さらにその翌年、明治23年3月には千歳川(現在の筑後川)に「千歳川鉄橋」が完成し、久留米駅まで鉄道が開通しました。この時に架けられた鉄橋は、ドイツのドルトムント・ウニオン社製のボニープラットトラスで、九州で初めてとなる鉄橋でした。
この鉄橋は、機関車の大型化に伴い、終に架け替えられますが、この架け替えの時、それまで架かっていた鉄橋構造物の一部の4連が「鹿本鉄道」に譲渡され、大正10年(1921年)に菊池川を渡る「菊池川鉄橋」として架橋されました。
その後、鹿本鉄道が廃止となり、昭和58年(1983年)鉄道廃線跡が自転車道に再利用されることになったのに伴い菊池川鉄橋も撤去されましたが、その一部が植木町宮原駅跡に記念物として移設(この時に1連32mの構造物が24mに短縮されています)・保存されていました。
平成14年1月4日、鉄橋の所有者であった鹿本鉄道の後身である「山鹿自転車道株式会社」のご好意により、この鉄橋が鹿本町に対して寄贈され、同年3月、町はこの鉄橋を解体、ここ水辺プラザに移転し、平成14年度において、新たに遊歩道の一部として整備しました。
本橋は、九州最古の鉄道鉄橋の生き残りであり、九州の鉄道の歴史にとっても、鹿本町にとっても、鉄道に関する貴重な文化遺産です。」
鹿本鉄道とは
「『鹿本鉄道』(昭和27年に『山鹿温泉鉄道』と改称)は、大正4年(1916年)に設立され、大正6年に蒸気鉄道として、国鉄植木〜肥後豊田間が、大正7年に肥後豊田〜宮原間が開通しました。さらに、大正10年に吉原〜来民間、大正12年に来民〜山鹿間が開通して植木〜山鹿間の全線が開通しました。その後、約50年にわたり地域の足として多くの方々に利用されてきましたが、度重なる水害や諸般の事情による経営不振のため、昭和35年12月営業休止の後、昭和40年、鉄道事業が公式に廃止されました。」 |