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貝洲加藤神社参道橋
2013.01.13
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八代市鏡町貝洲(かいず)
橋長:2.6m
橋幅:2.7m
単径間円弧桁橋
架設:大正10年(1935)
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貝洲加藤神社鎮座由来
「由緒
当社は、安土桃山時代に活躍された武将加藤清正公(1562年〜1611年)を祭神として御祀りしている。清正公は武勲の誉れとともに、土木や灌漑治水にも手腕を発揮された方でもある。
十九世紀初頭江戸時代末期の文化年間に、御国一の貧地と言われた野津手永の惣庄屋に着任した鹿子木量平翁が、人民の困窮を救わんと新地開きを計画した時に、崇拝する清正公の霊廟に『大願成就のあかつきには新地の氏神様として勧請し永世に御祀り申し上げる』との願を掛けられ、工事に着手したことに由来する。
量平翁は息子謙之助と共に、文化二年(1805年)から文政五年(1822年)にかけての十七年間に、百町、四百町、七百町と三つの新地を次々と干拓する。
文政五年九月二十二日に、渓玉院日b上人以下僧や信者数十名に守られて本妙寺を出発した清正公の神霊を奉じた神輿は、同月二十四日に神殿に御鎮まりになった。当時新しい社寺の建立は禁止されていたが、藩主細川斉茲公の特別のお許しにより土地を賜り、『侍屋敷の鎮守』の邸内産土神として勧請された。明治三年には村社に列せられる。 境内には末社として本殿向かって右に市杵島姫神を祀る貝洲神社と、向かって左の錦津見大神を祀る和合神社がある。
また鹿子木量平翁は、鏡町両出にある文政神社の祭神として御祀りされている。」 |
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県道322号線沿いの貝洲加藤神社
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鳥居奥に参道橋
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親柱
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側面
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境内から |