平家・緒方家の屋敷
2008.07.26

八代市泉町椎原




平家・緒方家の屋敷
「文治元年(1185)3月、平家の一族は壇の浦の戦いで源義経の船軍に敗れ全滅した。しかし、伝説によると彼等は全滅したように見せかけ、平家再興のため各地に四散し、落人となりそれが西国に於ける平家の隠れ里として発展したものである。
 平清盛の孫にあたる義経も壇の浦で戦死したようになっているが、実は落人となって人目をさけながら深山幽谷へと入って行ったのである。
 義経は壇の浦から、四国の伊予今治に至り、更に阿波国祖谷に行き、そこで1年間過ごした。それより九州豊後鶴崎に上陸し、西へ進み湯布院に滞在中竹田領に住む緒方氏と改名、肥後国白鳥山(泉村樅木)に住みついたと記されている。その後、義経の子孫緒方紀四郎盛行が、この地に住みつき代々椎原を支配した。
 緒方家の建物は、約200年程前に建造されたものであるが、屋敷は痛みがひどく住宅としての改造が進んでいたため、泉町で取得し、復元を図ったものである。」

八代市泉町
正面

西側

北側

内部

 茅葺の屋根が見えています。平成2年に約2000万円をかけて葺き直しされたそうですが、火災報知機が取り付けられているので、囲炉裏に火をおこし、煙で燻すことができないそうです。
 そのため、屋根の寿命は50年のところ、約20年ほど短くなるそうです。