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老神神社境内橋

2008.01.06

人吉市老神町

橋長:3.9m
橋幅:0.9m
2径間桁橋




老神神社
「老神神社は霧島神社を勧請したと伝えるが、創立年代は不明。現在の本殿は、江戸時代のはじめの寛永5年(1628)人吉藩主相良長毎とその子頼尚によって相良氏一族の産宮として再興されたもの。拝殿および神供所は元は茅葺きの鍵屋になっていたものを、近代に切り離したもの。
 藩主の産宮として造営されたため、漆塗り、彩色を施した豪華な造りに加えて、嵌め板等の細部にこの地方特有の意匠が見られ、球磨地方を代表する江戸時代前期の神社建築として価値が高い。」
拝殿横の弁財天前に架かっています

側面

側面

奥から

下部

上部

本殿の彫刻


5年7ヶ月ぶりの訪問

東側

東側

西側

西側

西南戦争の弾痕残る神社
「明治十年三月二十日、田原坂の戦いから後退した薩摩軍は再起をきし、四月二十日に人吉に集結したが、政府軍は徐々にその包囲網を狭め、遂に六月一日に球磨川の北側の村山台地や、願成寺山方面から人吉城や新町方面に向かって総攻撃開始した。
 この天満官は、もともと会館の東側に建てられていたので、川北の政府軍からの砲撃を受けたものと思われ、時の激戦の様子がうかがえる。当時は、いま以上に弾痕が見られたと思われるが、此処に移築した時に板壁の下半分を取り換えたために現在は上部に十二箇所程の弾痕が見られる。なお、中の宮殿の一部や、天井裏の梁にも弾痕が見られる。」
以上 2013.08.25撮影