田野の田守神の由来
「この田守神は水田の豊作を祈って大正四年旧暦六月萩ノ尾の丘に祭られた、元来田の神信仰はさつま地方に根強く伝わる習俗で同地方には数百基もの石仏がタノカンサアと呼ばれて親しまれている、従って肥薩県境にある田野の田守神もその影響を受けて祭られたものであろう。田守神の台座の左右には次の記銘がある。大正卯四年旧六月田野村共有区長元田茂作 評議員元田光蔵 田野田卯八 元田喜作 田野田末蔵 元田卯作 その後参詣を便利にするために昭和十年頃、須山の通称公園地に移され、さらに平成二年六月現在地に移転した。
移転当時の振興組合員は裏面の通りである。」 |