布の滝

2010.06.05

人吉市木地屋町




布の滝弁天堂の由来
「かつて、人吉市七地町の旧相良家下屋敷を流れる浪床川の滝の岩穴に、弁財天が祭られていた。時代はわからぬが、近江国琵琶湖の竹生島からの勧請と伝え、この滝を『弁財天の滝』と呼び、貞享二年(1685)拝殿を再建(嗣誠独集覧)藩主を始め庶民の尊崇極めて厚かった。一方、人吉市田町は寛文十二年(1672)に藩で新設した商人町肥後国誌で年を経るにつれて栄え、天保六年(1835)には胸川の岸に弁天堂を建立し『弁財天の滝』の分身を招請、以来町内信仰の中心となった。ところが昭和四十三年(1968)の大水害は、田町の弁財天を流失し、七地町の遺構を荒廃させ、昔日の面影は今やまったく見られない。これを憂えた田町の寿福政喜氏は、その再興を発願、七地町、田町木地屋町の有志のほか、心ある人々の同意と浄財を仰ぎ、自らも私財を投じ、木地屋町の奥、胸川の水源、荒川内の永野川の布の滝のほとりに新社殿を創建、新たに竹生島の宝巌寺に参詣して弁財天のご分身を勧請、鎮座を願った。この地は、谷深く、水清く、平家の落人と木地師ときじ車と、その伝説が美しく絡む由緒ある幽邃郷である。学問と技芸をすすめ、人の汚れを払い、名誉と長寿と財福を与え、子孫を恵み、そして河川を守護するという弁財天を祭るに最適の地であろう。さらにこの『布の滝』の景観は、いわば、『昭和の弁財天の滝』として、今後多くの人々に敬慕され、見る者に必ず至福の想いを抱かせるに違いない。」
『布の滝』弁天堂建立期成会
布の滝

弁財天堂