山北八幡宮仁王像

2016.01.11

玉名郡玉東町白木




仁王像の由来
「寄進者は原倉立岩の住人で、名を袖七と言い琵琶をひく盲目の不自由な人で、次の世に生れ変る時は相撲とりのように、大きく丈夫な体に生まれたいと願い、永い年月をかけ貯えた金で寛政四年(1792)十一月山北八幡宮に寄進され、名も力士に肖り自分の名の一字をとり袖都として貴信されたのである。仁王像はお宮やお寺の護り神で武具の金剛杵を持っている、口を開いた仁王像を密迹金剛、口を閉じた仁王像を那羅延金剛とよばれる。寄進された当時は八幡宮楼門の両側にあったが、明治元年三月に神仏分離令が発令され、現在地に移転する。」
神社の横を奥に進むと

祠の中に仁王像

阿形

吽形

腕輪がおしゃれです

側面

背面