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参勤交代道の橋

2007.08.19

阿蘇市車帰 坂ノ下

橋長:1.5m
橋幅:3.1m
桁厚24cm
桁8列
単径間桁橋




豊後街道−参勤交代の道(往還)
「江戸時代の街道は、商人による物資の輸送、遊学、寺社参詣などの旅人の通行路となったのはもちろんですが、なによりも、大名の参勤交代や幕府の巡検使の諸国視察などのために整備された歴史があります。
 54万石の細川藩の場合、参勤交代の人数は、少ないときで600人、多いときには、2700人にもなりました。
 参勤交代の行列は、江戸から東海道を下り、大坂にでてそこから海路 瀬戸内海を通り、大分県の鶴崎に上り、再び陸路で野津原、久住(鶴崎、野津原、久住は肥後藩飛び地)を通り、大利(産山村)坂
梨(一の宮町)内牧(阿蘇町)を経て、的石に出て、二重峠を越えました。
 ここ坂の下から、二重峠までの道は険しく、また、火山灰上であるために、雨が降るたびに、道路がいたみます。そのために、九十九折れの急坂の道に石畳が敷きつめられています。
 石畳には「岩坂村つくり」と刻まれた石が残っていますが、岩坂村(大津町)はここから12キロ(3里)離れた村で、この道つくりに広範囲の村々から農民がかりだされたことを物語っています。
 入念に敷きつめられた石畳を歩くと、農民の苦労がしのばれます。この石畳を上り詰めると、はるかに熊本を望むことができます。江戸から300里の道程をふりかえり、帰国の喜びをかみしめ、石畳を踏みしめて登ったことでしょう。」
参勤交代道に架かっています

側面

内部

道脇の桧

石畳の道が続いています