山上八幡神社本殿 あさぎり町指定有形文化財
「山上八幡神社は、この場所から皆越方面へ南に向かって約800mの久木原という山中に西向きを正面として建てられていました。祀られていたのは、この地域を治めていた相良氏庶流で上村一族の上村頼孝、頼堅、長蔵と僧勢ばんでした。
建物の由来
弘治3年(1557年)上村城主上村頼孝、八代郡豊福城主上村頼堅、岡原の岡本城主稲富長蔵がいましたが、宗家の相良家第18代義陽に対して反乱を企てました。いわゆる義陽を廃して球磨・八代・葦北の三郡を分割支配しようとする陰謀で『上村氏の陰謀』といわれる事件です。この場所の西にあった東圓寺(谷水薬師堂付近)の僧勢ばんを使者として皆越の地頭の阿部家(皆越家)に味方するように頼みましたが、阿部家は承諾しませんでした。やがて、義陽の反乱鎮圧で上村一族は滅亡することになりましたが、上村氏は阿部家を恨み怨霊となり崇りを起こしたといいます。元亀元年(1570年)阿部貞当は、崇りを鎮めるために、支配する皆越の地に山上八幡神社を建立し、その7年後の天正5年(1577年)、相良義陽は自らの夢想により皆越から久木原の地に山上八幡神社を遷座させたと伝えます。
平成3年(1991年)の台風で神殿は大破し、神殿内に祀られていたご神体は、当地区の黒木家で手厚く祀られています。」 |