上永里雲羽神社社殿 あさぎり町指定文化財
「雲羽神社は、今からおよそ650年前の南北朝時代、旧上村の永里地区にあった永里城主永里彦次郎が、永里地区の鎮護のために建てた神社です。その永里氏が亡んだあとも、この他を治めた領主(地頭)や永里村の人たちから篤く崇拝されてきました。ご祭神は、神話の天孫降臨で知られる『ニニギノミコト』で宮崎県えびの市の霧島神社の祭神と同じ神さまです。
町指定文化財に指定されている『神殿』は、正面の柱の間数が三間あり、また、前流れの屋根が長くのびて庇(向拝)となっていることから『三間社流造』といいます。『流造』というのは神社建築様式のひとつです。
また、庇部(向拝部)には、カエルの足を後ろから見た形の『蟇股』や『頭貫木鼻』の部材があり、この地方の17世紀の建築によくみられるもので、特に向拝部の三つの蟇股が残っているのが貴重です。この雲羽神社の使いというのが、鼻が長い『天狗』といわれていて、その雲羽神社周辺の永里を守っていると伝えています。また、雷さまにまつわる『上村の私雨』という面白い話もありますのでそれを紹介しますと、
『そのむかし、上村の“くもんは(雲羽)”というところで、雷さまが空でつっこけられて、地上に落ちてこられました。その雷さまは、なかなか空へは戻れずにいました。そうしたら、近所のどこかの婆さまがやってきて、“やんもこ(荷い棒)を立てて、これであがりたもれ”と教えたそうです。雷さまはようやく帰ることができるようになりました。そして婆様に“お礼は何がよいか”と言われたので、、婆さまは、“わたくしにゃ雨たもれ”と言われたそうです。それから、自髪岳に雲が掛かり雨が降ると湯前にも雨が降ってくるようになりました。それは、なぜかといいますと、その婆さまは、湯前の生まれで、湯前からこの他に嫁入って来られたということです。それで、湯前では、自髪岳に雨がかかれば、これを『上村の私雨(わたくしあめ)』といって感謝したそうです。湯前ではこの話が残っているそうですが、上村ではきかれなくなったということです。
話は変りますが、音ばかりして、とうとう雨にならないのは、『大畑夕立(おこばゆうだち)というそうですが、大畑(人吉市大畑町)でいくら雷の音がしても、湯前では雨にならないことを言うのだそうです。そのことから、返事ばかして、ものにならんという者『大畑夕立』というのは、このことが由来するというそうです。」
あさぎり町教育委員会 |